占い探偵Mrムーン「ロゼカラーの少女」


第1話:「ラストメール」


「救急車は来ない…たぶんダメだろうな。許されないことは分かっている。ごめん…そしてサヨウナラ」
ユキが彼からもらった最後のメール。
彼は一体になにを許せ…というのだろう。
一週間経っても、現実を受け入れられそうにない。

今から3年前の冬、大晦日。
当時、ユキは短大生。
ごく身近な女友達と食事に行く以外は誘いを断っていた。
その辺では珍しくも見えるきれいな黒髪。
派手さとは無縁なスタイル。
むしろ素朴さが逆に目立つタイプである。
乾いた街にはちょうどいい清涼感を与えてくれそうだ。
ピンクのスニーカーも童顔の彼女にはよく似合っていた。
来春、卒業にも関わらず就職活動はしていない。

社会勉強と言っては生活費を稼ぐためにバイトを続ける毎日。

(今年も今日で終わりか…)
その日もユキはバイト先である銀座の画廊にいた。
いつものように一人で店番。

カランという音とともに一人の青年が現れる。
見るからに売込みの貧乏画家といった感じである。

「あの、今日はお休みでしょうか?」

無精ヒゲと気の抜けた声がそう物語っていた。

『あ、ちょっと今オーナーが不在で…』

垂オ訳なさそうにユキは言う。
ドア越しに歳末大売り出しのかけ声が聞こえてくる。

『お約束の方ですか?』
「いえ、ちょっと見てもらいたい絵があって」

男は持って来た布袋を開けようとした。

『ごめんなさい今日は…』
「見てくれるだけでいいから」

ユキの言葉を無視するかのようにキャンバスを取り出す。
10号サイズだろうか。
キレイに唐轤黷ス麻布には重ね描きの跡が見られない。

『私でいいんですか?』
「僕もここが最後と決めていたから、何かの縁だと思ってさ」

男は躊躇することなくそれをユキに手渡した。
ユキはキャンバスをクルっと反転させて自分の方に向ける。
絵を見た瞬間、何かを感じずにはいられなかった。
(この絵は…)

「駄作だって言われ続けたやつだけど」
『ううん、素敵』

ユキの答えに男は言葉を重ねた。

「いいよ気使わなくて」
『ほんとに…』

素直な感想だった。
これまで先の見えない画家達の絵を幾度となく見てきている。
絵については素人だが、その分自分の気持ちには正直である。
男の描いた絵はそんなユキの心に深く刺さる何かがあった。

「これ、あげるよ」
『え?』

ユキは返答に困っていた。
それを察したかのように男が続ける。

「描くのやめたんだ。今夜東京を離れる」
『でも…』
「ごめん、仕事の邪魔しちゃったね…じゃ」

そう言って男は年の瀬の人ごみへと消えていった。

「ロゼカラーの少女」
そう題された絵には自分の手で髪を切る少女が描かれている。
ユキにはその少女が他人とは思えなかったのだ。

キャンバスの裏には名刺が唐チてあった。
「ヤスダ ユウイチ」
浮フサインと同じく彼の名前である。
住所と電話番号は黒く塗りつぶされていた。

(幾つくらいかな…。そういえば手、大きかった。背も高いし…)
ユキは出て行ったばかりのユウイチのことが気になってしかたがなかった。
画廊でバイトしているにもかかわらず、絵描きの人に興味を持ったのはこれが最初。
いつもはオーナーが応対するため、直接話をする機会などなかったからだ。

(この絵、どういう意味なのかな…。私じゃなくて、誰でもよかったのかな)
ユキはすっかり冷めきったコーヒーカップを片手に一人で考え続けていた。
気がつくと、外は暗くなっていた。
日が落ちるのと同じく、通りを歩く人の足も早く感じられる。
ユキは戸締りを済ませて店をあとにした。
左腕にはユウイチの絵がしっかりと抱えられていた…。

翌春、再び東京に出てきたユウイチは侮Q道のカフェに入る。
席につく前に一枚の絵が彼の目に飛び込んできた。

『ロゼカラーの少女…あなたが描いた絵ですよね』

どこかで聞いたような声だ…。

「キミはあの時の…」

声の主は間違いなくユキだった。

『今、ここでバイトしているんです』
「そっか…」
『ずっとあなた会いたくて、店長にお願いしてあの絵を飾っておいたの』

勢いにまかせた告白。
聞こえたのか客の視線もユキの方に向けられた。
(言っちゃった…これ、どうなるの…?)
心臓の音が床にも伝わるのでは…?と思うほどの空気。

すると…

「僕もキミを探してた…」

ユウイチの発した意外な一言。
それは絵とユキ、そして2人の距離を一気に詰めるものだった。

2度目の偶然からスタートした交際。
ひと回り年は離れてはいたが、2人が愛し合うまでに時間はかからなかった。
ユウイチは諦めていた絵の制作活動を再開。
ユキはいつも心の中で彼の成功を願っていた。
そんなユキの気持ちが通じたのか、彼の絵は著名なコンテストにも入選するようになる。マスコミにも取り上げられ、成功への扉を一つずつ開いていく。
夢にまで見た個展の開催が決まった日、2人で乾杯した。
「ロゼカラーの少女」と一緒に過ごした日々。
それからわずか1ヶ月後、開催日を目前にして悲劇は起こった。

不運な交通事故だった。
正確に言えばひき逃げである。
犯人はいまだ特定されず、警察も捜査の手を緩め始めている。
35歳の洋画家、期待の新人。
彼の最初で最後の個展が今日、開かれる。


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