占い探偵Mrムーン「ロゼカラーの少女」


第5話:「鏡の中のヒロイン」


約束どおりユキは閉館後もギャラリーに残っていた。
外は昨日と同じく雨模様だ。

そこに足音一つ立てずにムーンが入ってきた。
濡れた傘を閉じながら静かに口を開く。

「キミは幼い頃に両親を亡くしているよね?」

声に気付いたユキが顔をしかめる。

『どうしてそれを?』
「ちょっと調べさせてもらったんだ」

横に見るユキの目は鋭く光った。
その様子をじっと見つめるムーン…。
ユキの瞳は徐々に力を失っていく。

ユキはムーンの視線を避けるように歩きだす。
壁際まで寄ったところでその小さな肩を震わせた。

消えかけた記憶が次々とよみがえってくる。
公務員の父と看護婦の母、そして私。

「ユキは大きくなったら何になりたいんだ?」
父はことあるごとに私に聞いてきた。

「お母さんみたいな看護婦さん」
私はいつもそう答えていた。
母が夜勤に出るときはいつも泣いていた。
自分も看護婦になればずっと一緒にいられると思っていたからだ。

その日の夕食でもそんな会話を3人でしていた。
「ユキ、先にベッドに入ってなさい。あとで絵本読んであげるから」

私は自分の部屋に戻って、母が来るのを待っていた。

「お父さん、そろそろ玄関のカギ閉めてきて」
ドア越しに母の声が聞こえてきた。
戸締りはいつも父の役目だった。

「お前、誰だ?!」
次に聞こえてきたのは父の激しい声。

「ドスン」と何かが倒れる音とともに母の足音が鳴る。
「ユキちゃん!早く逃げなさい!」
それが母の最後の言葉だった。

ごく普通の幸せが一瞬で奪われたあの日。
父は即死。
母は病室のベッドで、ユキの手を握りながら息果てた。
有力な証拠はなく、唯一の目撃者であるユキも口を閉ざした。
その後は祖父母の家で育てられ、短くも長い15年が過ぎた。

『私の中では終わったことなの…』

ユキが「ロゼカラーの少女」に背を向けてつぶやく。
(あ、鏡…)
目の前には大きな鏡があった。
かけられていたのは絵の反対側に位置する壁だ。
絵ばかりに注目していたユキが気にも止めなかった鏡。
これらのレイアウトはユウイチによるものだった。

ムーンは彼女の肩に優しく手を置いた。

「その鏡の中に何が見える?」

水面のように歪む自分の姿。
軽く涙を飛ばしてみても同じだった。

『自分の顔…』
「もっとよく見てごらん」

ムーンは鏡の中のユキに問いかけるように言った。
(真実を見るんだ…)

『私…、私が二人?』

鏡に映った「ロゼカラーの少女」はユキそのものだった。

「キミは左利きだよね。僕の名刺を受け取った手も左だ」

右手に描かれたハサミも鏡の中では確かに左である。
人間の顔は微妙に左右非対称。
どことなく違っても見えたのもすべてが左右反対だったからだ。
つまり画廊で出会う前からユウイチはユキを知っていた…。

「キミは15年前にも彼と出会っているはず」
『15年前って…ま、まさか!』

当時、7才だったユキはドアの向こう側で一部始終を見ていた。
覆面姿の犯人とは一度だけ目が合っている。
なのに自分だけは何もされなかった…。

「キミの両親を殺した犯人、それが…」
『…ウメAそんなのウモ諱I』

否定しながらもユウイチの目と犯人のそれが重なった。

画廊での出会いは偶然。
しかし二度目となるカフェでの再会は必然のこと。

「確か…彼は自分の誕生日に亡くなったって言ったよね?」
ムーンはゆっくりした口調でユキに問いかけた。

『うん。私がバイトから戻ったらお祝いしようと…』
下を向いたままのユキはそう答えた。

「ヤスダユウイチ、1969年7月30日生まれ。しし座のニュームーンは責任感の象徴でもある」
『……』
黙って聞くユキにムーンは続けた。

「月の定めと同様、キミに気付いた彼は時効を目前にして罪を償う覚悟を決めたのだ」
『……』

「彼は過去の罪を罰してくれるのはキミ以外にいないと考えた」
『そんな…』
(罪を償うために私と付き合った…?)

ユキが憎むべき自分を愛したのは彼にとっての大きな誤算。
しかし、愛には愛で…そんな償いも確かに存在する。
自分の口から真実を伝えれば一瞬にして終わる愛。
これ以上の罪はない。
ユウイチの想いはただ一つ、早く気付いてくれ…。

「それでも罪の意識が彼を責め立てる。死の間際まで」
『事故じゃなくて自殺だったっていうこと?』
「いや事故だ。彼は偶然の裁きを受け入れたのさ」

ユキはあの夜のことを必死に思い出していた。

『でも救急車を待っていたはず…!』
「それは彼の嘘だ。119番よりもキミへの告白を優先した」
『私…あの時、携帯忘れていて…』
「だからメールでキミに最後のメッセージを残したんだ」

(こんなの…ないよ)
(私の愛した人が…ユウイチが両親を…)

「その指輪もキミの母親のものだろう」

ユキは左手の小指を見つめた。
あの日、ユウイチが無言でくれた指輪。
自分を傷つけるだけの彼が行った最後の懺悔。

『ああ…』

ユキは言葉にならない声を上げて壁にもたれた。

『私、気付かなかった…なに一つ』

「ロゼカラーの少女」にはユキへのメッセージが託されていた。
ロゼカラー(Rose Color)はバラの色。
ピンク色のバラ、花言葉は「君のみが知っている」である。

外に出ると、いつの間にか雨は止んでいた。
雲の隙間にはぽっかりと月が浮かんでいる。

「キミの恋も彼の罪も今夜が時効だ。月もそう言っている」
『…うん』

ユキは優しそうな月を見上げて彼に別れを告げた。
(さよなら…ユウイチ)

その時すでに、ムーンは通りの向こう側。
道行く女性に声をかける。
「ところでキミ、生年月日は?」



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