エスカレーター


第1話:(全編)


 一階。ふたりの子供はそれぞれの母親の腕のなかで眠ってばかりいる。

 二階。子供たちは歩きはじめる。それぞれの母親にしっかりと手を握られて。エスカレーターに乗るときと降りるときは、母親の手にぶらさがって。

 三階。ふたりの子供は互いの存在を意識しはじめる。ときどきちらりと目線を交わすが、口を開くことはない。

 四階。子供たちは遊びはじめる。エスカレーターを駆け登り、追いかけっこに夢中になる。
「がお〜、おばけだぞ〜!」
「いやあ!」
 男の子は母親に叱られる。

 五階。母親たちはおしゃべりに夢中で、もう子供を注意しようとはしない。男の子は両手で顔を歪めて、女の子に見せつける。
「ほらほら、おばけだぞ〜」
「もう、やめてよ!」

 六階。母親は入学式のために着飾り、ふたりの子供はランドセルを重たそうに背負っている。
「うそよ、そんなの」
「ほんとだよ、ママが言ってたもん」

 七階。もう親は一緒ではない。歩幅も大きくなり、エスカレーターの乗り降りに苦労することはない。
「ほんとだってば。このデパート、おばけが出るんだよ」
「おばけなんていないのよ。先生がそう言ってたじゃない」

 八階。子供の背中はようやくランドセルとおなじ大きさになる。
「うそじゃないよ。見たひとがいっぱいいるんだ」
 甲高い声で少年は言い張る。少女は無言。

 九階。少年はエスカレーターの手すりによじ登ろうとして、少女に引きずり下ろされる。
「ふざけてないで教えてよ。どんな幽霊なの?」
「大人の、男のひとの幽霊」

 十階。少年は低い声に変わっている。少女の体型がかすかに丸みを帯びはじめる。
「大人っていっても、若い人だよ。大学生くらいだって」

 十一階。この年頃では女の子のほうが成長が早い。少年はエスカレーターの段をひとつ登り、無理に少女を見下ろす。
「なんで幽霊になったの?」
「自殺したんだ。ここの屋上から飛び降りて」

 十二階。ふたりは中学校の制服を着ている。少年は詰め襟、少女はセーラー服。
「どうして自殺したの?」
「知らねえ」
 少年の言葉づかいは微妙に変化する。

 十三階。ふたりの背丈は同じになる。
「女に振られたんだってさ」
「だれが?」
「ほら、いつか話したろ。このデパートの幽霊だよ」

 十四階。少年の身長はようやく少女のそれを超える。少年は好奇心のかたまり、少女は夢多き年頃。
「ここの屋上で告白したんだ。そしたら断られて、発作的に飛び降りたんだってさ」
「かわいそう……」

 十五階。制服は高校のものになる。ふたりおそろいのブレザー。スカートのすそを気にして、少女は少年よりもひとつ下の段にいる。
「でも、その男も悪いんじゃない」
 一年を過ぎ、少女はもはや夢見る乙女ではない。
「自業自得よ。しつこくつきまとってたんでしょ。女の人のほうがかわいそうよ」

 十六階。少年の身体はすっかり成長し、少女はすでに少女とは呼べない。
「それだけじゃないらしいぜ」
「え?」
「実は、自殺じゃなくて殺されたらしいんだ。その女に」

 十七階。男は思春期特有の目で女を見るようになる。それを見かえす女の目は軽蔑に満ちている。
「それだって自業自得じゃない。気持ち悪いわ、ホラーマニアの男なんて。好かれたら迷惑よ」

 十八階。エスカレーターはこの階で終わり、ふたりは屋上への階段を登る。
「だからって、幼なじみの男を殺して平気なのか?」
「我慢できなかったのよ。会うたびにしつこく幽霊の話を繰り返されるのに、耐えられなかったのよ」

 屋上。耐えきれなくなった女は男を突き落とす。女は青ざめた顔で、駆けつけた警官に説明する。
「交際を申し込まれたんです。断ったら、彼はふらふらと手すりを乗り越えて……」
 地上に横たわる男の身体は原形を留めていない。その横を通り過ぎて、ふたりの妊婦がデパートの入口へと歩いてゆく。



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