二殺のゼロ「俺の金じゃない」


第4話:紅い夜


 そいつが戸口に現れた瞬間、他の客の様子が一変した。あからさまに目を向けたのは一人もいなかったが、なんというか……変わったのさ。緊張の糸が切れたようでもあったし、更なる緊張が走ったようでもあった。どっちにしろ、連中が誰を待っていたのか、これではっきりした。
 まともな用件とは思えなかったけどな。なにしろ挨拶するわけでもねえし、立って出迎えるわけでもねえ。客の方に顔を向けさえしねえんだ。
 例の客はいつもと同じ、革鎧に長い上っ張りだ。仕事の帰りらしく、上っ張りに黒い染みがついてたっけ。胸元の布が妙に突っ張ってて、何か重いもんでも忍ばせてるみたいだった。まあ、この正体はすぐに知れたけどな。
 そいつは店をぐるりと見回してから、唇の端でにやりと笑った。俺のとこへまっすぐ歩いてくると、聞こえよがしに言ったね、「面白い顔ぶれだな」って。
 口を開いたが、言葉が出てこねえ。客は俺の目の前に座ると──例の大男のすぐ横だ──内懐に手を突っ込んで、革の袋を取り出した。中身は見なくても判った。金貨さ。
「足しといてくれ」
 客はそう言って、金貨の束を調理台に並べていった。数えるまでもなく百枚あった。十枚の束が十個さ。
 最後の束を置いた時、上の二枚がこぼれて落ちた。調理台のこっち側にね。
「済まん」
 そう言って客はにやりと笑った。俺はいや、なに、とか訳のわからんことを呟いて、腰をかがめて金貨を拾った。
 その途端、店のあっちこっちで音がした。
 何の音かは判るもんか、色んな音が一度にしたからね。金属がぶつかる音もあったし、何かがこすれる音もしたな。人の声らしきもんも聞こえた気がしたが、はっきりとは判らん。
 俺が金貨を拾って顔を上げると──そこは地獄絵図だった。
 全員死んでた。魔道師は首が無かったし、女は仰向けに横たわって胸から血を噴き出してた。壁際に立ってた男は喉を裂かれたまま寄りかかってた。大男だけが無傷に見えた──と思ったら、見る間に口から血を吐いて、椅子からころげ落ちた。
 一面の血の海のなかで、例の客は一人立ってた。両手に短剣を下げて。頭から爪先までを真っ赤に染めてね。
 何が起きたかは一目瞭然だ。けどな、俺は信じられなかったね。俺の頭がおかしくなったか、それとも酒に妙なもんが混じってて、悪酔いしたに違いねえ。そう思ったね。その方が信じ易かったのさ、明らかに起こったことを信じるよりもな。
 判るだろ。俺が腰をかがめて金貨二枚を拾う間に、店にいた十二人の客を皆殺しにしちまうなんて……誰が信じられるかよ。この目で直に見てたって、そうは信じられんだろうぜ。
 例の客は血まみれの剣を上っ張りの端で丁寧に拭った。それから剣を収めると、こっちに向かって笑ったんだ、返り血をいっぱいに浴びた顔でね。
「今落ちた金貨二枚、あんたが取っといてくれ。店の掃除代だ」
 そう言い残して、客は店を出ていった。
 俺は黙って見送ったよ、血まみれの後姿を。言葉なんか出るはずねえ。怖いから、ってよりも……呆れたね。



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