二殺のゼロ「俺の金じゃない」


第5話:盗賊と金貨二枚の夜


「──次の日、俺は人を雇って店を片づけた。なにしろ金貨二枚の掃除代だ、有効に使わにゃ損だからな。死体は墓地まで運んで埋めた。大男なんざ、五人がかりでやっと外に出したっけ。墓地に運ぶにゃ荷車が必要だったよ」
 初老の店主は言葉を切ると、血の滲んだ唇からくつくつ笑いを漏らした。
「掃除にゃ苦労したね、なにしろ店中血の海だからな。それでもあらかた片づいたが、どうしても消えない染みもあった。ほら、その壁とかな」
 顎で指し示す。手足を縛られ床に転がされた姿勢では困難だったろうが、店主は何とかやってのけた。
 二人の男は同時に振り向いた。店主の示した壁には、確かに黒い染みがあった。並の背丈の男が寄りかかった、ちょうど首の高さの辺りに。
「それから何日かして、俺は噂を聞いた。『二殺のゼロ』って呼ばれる男の噂を。一度の動きで二人を葬る、凄腕の殺し屋だと。例の客のことだとすぐに判った。二振りの短剣を持ってたし、うち片方は確かに、不気味に光って見えたしな」
 唇の端から血を流しながらも、店主は懸命に首を持ち上げ、愉快げに話を続ける。
「その後も客はやって来て、その度に金を預けてった。単に持ち歩くのが面倒なだけだって、俺はようやく気づいた。大した金額だ、重さもかなりのもんだからな。飲み食い代を差し引けば、今じゃ金貨が七九二枚、銀貨六十枚、銅貨が三枚。きっちり合ってる筈だ、その袋の中身とね。本人は覚えてるかどうか知らんが、俺は決して忘れん」
 二人の男は顔を見合わせ、ついで床の上の革袋を見つめた。さすがに中身を数えようとはしなかったが。
「判ったろ、俺が何を言いたいのか」
 店主は男達をぴたりと見据え、噛んで含めるように告げた。
「つまりな、それは俺の金じゃない。例の客のだ。二振りの短剣を携えた、小柄で目つきの鋭い客の金だ。店の金を持ってくのはかまわん、好きにしろ。だがな、その革袋の中身に手をつけたら……」
 にやりと笑う。その沈黙は効果的だった。二人の盗賊は見る間に青ざめた。
「……どうなるってんだよ」片方が震え声で問う。
「お前達二人、『二殺のゼロ』を敵に回すことになる。俺を殺して口を封じても無駄なこと、お前達の居所など、すぐに知られるだろうな。たちまち追いつかれ、追いつめられ……そう、『二殺』の技を間近で見られるわけだ。うらやましいとは思わんな」
「嘘だ。はったりだろ」と、盗賊のもう一方。
「試す気があるかね」
 店主が応じると、不気味な沈黙が降りた。二人の盗賊は互いの顔と、床に置かれた革袋とを交互に見やった。
 ──結局、二人は立ち去った。革袋の中身どころか、店の金にすら手をつけずに。
「……縄くらい解いてって欲しいもんだな」
 店主は忍び笑いを漏らした。
 盗賊どもが逃げ出すのは、最初から判っていたことだった。襲われたのは初めてじゃないが、例の話を聞くと盗賊は皆逃げ出した。一人の例外もなく。
 くつくつ笑いながら、店主は床を転がった。立ち上がろうと試みるが、後ろ手に縛られた状態では転がるのが精一杯だ。
 うつ伏せたまま苦心を続けていると、開け放しの扉から物音がした。姿は見えないが、人の気配がする。
「誰だ……コニーか? ドウスか?」常連の名を呼びかける。「誰でもかまわん、有難い、縄を解いてくれんか。盗賊にやられた」
 足音が近づいてきた。耳元で立ち止まると、鞘から剣を抜く音がした。剣を携えた客……傭兵か? 店の常連には数えるほどしかいないが……。
 店主が記憶を探る間に、ぷつりと音がして手首の縄が切断された。次いで──背骨のあたりに、何やら冷たい感触が走った。
「縄と貴様とで『二殺』だ」
 聞き覚えのない声が告げた。
「人の名を使って商売するなら、名前を選ぶことだ。素人が無闇に口にするもんじゃないぜ、俺の通り名は、な」
 背筋に感じた冷気は、徐々に鈍い痛みへと変化していった。自由になった両手を床に下ろし、立ち上がろうと試みる。が……腕に力が入らない。
 足音の主は店の中央に歩み寄り、床から革袋を取り上げた。
「この金は頂いてくぜ。俺の金、だそうだからな。文句はあるまい?」
 声には皮肉な調子が加わっていた。愉快げな忍び笑いも聞こえる。
 その頃には、背の痛みは耐え難いほどになっていた。叫ぼうとするが、息ができない。
 足音の主は戸口へと向かった。扉の手前で立ち止まり、振り返る。
「忘れるとこだった。受け取れ──店の掃除代だ」
 金貨が二枚。放り上げられ、壁で跳ね返って床に転がる。店主の足元で互いにぶつかり合い、涼しげな音を立てた。
 店主にはその音も、また歩み去る足音も聞こえなかった。耳に響くのはただ己の鼓動、そして喘ぐような呼吸音のみ。それらの音もだんだんと弱まり……やがて途絶えた。




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