逃亡


第3話:抵抗のはじまり


 晴香と二人で出掛けることは少なくなり、マリさんと三人で会うようになっていた。単純に飲んで遊ぶことも多いけれど、『PINK☆PINK』の閉店後、お客さんと飲みに行くいわゆるアフターにつきあうことも何度かあった。そんなときは、夜、二人のどちらかの携帯にマリさんから「これからタダ飲みしない?」というメールが入る。
 最初はマリさんがおごってくれると思って行って、見たことのないサラリーマン風のおじさんも一緒でずいぶん驚いた。
 大人の女のマリさん、今時ギャルの晴香、そして場違いな自分…三者三様なのが面白かったらしく、そのおじさんのアフターには何度か呼ばれた。
「どうしてキャバ嬢なの? もっと稼げる仕事あるでしょ」
 ある時、マリさんの部屋で手料理を食べてワインを飲んでいると、晴香が突然聞いた。
 マリさんはニッと笑って「デートクラブとか?」と切り返す。
 裕福でお金を稼ぐ必要なんてない晴香は、デートクラブでバイトをしていた。仲良くなって、晴香の家に遊びに行ったとき聞かされて、ひどく驚いた。
「え‥‥何で知ってんの」
「たまに見かけてたからね。それに今うちのお店の女の子たちにも顔が知れてるから、渋谷のなんとかっていうホテルから出てくるのを見たよ、とかね。色々情報が入ってくるわけよ」
「ふうん。で? まさか説教する気じゃないでしょうね」
「まさか。第一説得力ないでしょ。キャバ嬢になったのは、平たく言うとお金のためなんだけど、お酒が好きだったしってとこかな。じゃあ、何でデートクラブなの?」
「それは、まあ、短期間でお金が稼げるし、別にセックスなんてどうってことないから」
「ど、どうってことないって、だって、に妊娠したりしたら、どうするの?」
 あまりに晴香が平然と言うので、口を挟まずにはいられなかった。
 前に晴香から、デートクラブで働いてると聞いた後でネットや書籍で少し調べてみたのだ。中には本当に食事やドライブだけというクラブもあるらしいが、当然それだけではないのが現状だった。特に高校生を雇うという違法を平然と行うところは、薬物を使って女の子が離れないようにする場合もあるようだった。
「だって、絶対つけてもらってるし」
「ふうん。客でゴムつけるの嫌がる人いない?」
「いるいる。特にさえないオヤジとかね。妊娠したり性病になったら、罰金として最低百万はかかるけどいいかって脅すと、ほとんどはつけるけどね」
「なるほど、罰金ね」
「そ。うちは会員制で、結構そこそこの人ばかりだから、トラブルを嫌がるのが多いんだ。だから、楽ちゃあ楽だよ。地位のある人とかって、こっちから言わなくてもゴムもつけるし、無理してこのクラブに入ったぽい人の方がなってないね」
「なってないかあ。くっくっく、女子高校生に言われたら、その人もおしまいだね。桐は? バイトとかしてないの?」
「私は‥‥」
「この子んち、厳しいんだって」
「へえ。じゃあ、こんなに夜出歩いてて、何も言われない?」
「う‥‥ん。うち母子家庭で、働いてるから。あ、でも、今度の期末が悪かったら、予備校の後、出歩くの禁止って言われてる」
「えー、何それ! やばいじゃん。ちょっとマリさん、何とかしてよ」
「まあ桐なら大丈夫だと思うけど。分かった、今度来る時、二人とも教科書持っておいで。範囲を教えてくれれば、ヤマをかけてやろう」
 あの日以来、母は気味が悪いくらい何も言わなくなった。「友達の家で勉強してきます」とメモを残しておけば、急に泊まっても何も言わない。
 母と顔を合わせるのは土、日曜日の夜だけになっていた。でも、それは信用しているとかではなくて、期末でもし下がったら見てなさい、という無言の攻撃。
 数日後、晴香と二人で教科書を持ち寄って、マリさんの部屋に集まった。範囲を教えるとマリさんは教科書をなめるように見て、ペンで記入していった。
「これが桐ので、こっちが水原の。赤線は絶対出るもので、余裕があったら黄色のも覚えておけば、まあ安心でしょう」
「すご〜い。ちょっとしか見てないのに、何で分かるの?」
「んー? 昔からヤマを張るのは得意だったの」
「ふうん。で、それは当たったのぉ?」
 晴香はからかうような口調で言いながら、目は教科書に釘付けだった。
「そうね。うわーヤマが外れた!どうしようってことは、一度もなかったかな。試験なんてね、教科書や参考書にある全部の問題を出せるわけないんだから、勉強したところが出るか出ないか。点数の差はそれだけよ」
 妙に説得力のあるマリさんの口調に、何度もうなずいてしまった。外れてもいい。マリさんのヤマに賭けて、そこだけを勉強しよう。そう決意した。
 ヤマを外したことがないというマリさんの言葉を信じたのではなく、外れてもいい。外れて直視するに耐えない点数を取り、母がなんて言うか知りたい。友達とは二度と会うなと言うだろうか。そして、その言葉すら守らなかった時、失望して「母親」を放棄するだろうか。


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