逃亡


第4話:わかれの理由


期末試験が始まり、驚いた。マリさんのヤマはことごとく当たっていた。自己最高得点が取れるかもという期待に心臓が早くなったが、同時に舌打ちしたい気分でもあった。自分の力ではないということや、母親を放棄はしてもらえなくなること。思わずため息がこぼれた。
 試験最終日、渋谷で晴香と待ち合わせをした。
「友恵!! 試験どうーだったぁ? もう、すっごいよ。ドンピシャだったぁ!」
 晴香は開口一番、悲鳴のような声をあげて飛びはねていた。晴香の方も当たったらしい。
「うん。こっちもバッチリ」
「ねっ、これからマリさんのとこに行かない?」
「これから? え、でも、部屋にいるかどうか」
「いるって。さっき電話したんだ。ね、行こう!」
 晴香に半ば引っ張られるようにして、マリさんの部屋に向かった。テストであんなに答えを記入したのは初めて、問題を読んだだけで声を上げたいくらいうれしくなった、と晴香は興奮しながら話し続けた。同意のうなずきを繰り返しながらも、そこまでは喜んでいない自分に気づかされたのだ。
「マッリさーん!」
 チャイムを一回押すと、晴香は玄関のドアを勝手に開けて中に入って行った。
「おう、今日で期末終わったんでしょ? その顔はぁ」
「もう、尊敬するよ! ほっとんど完璧! 結果が楽しみな試験なんて初めてだよ」
「そっかぁ。よかった。桐? 桐はどうだった?」
「あ、うん、こっちも完璧。最高得点取れるかも」
「じゃあ、お母さんの文句も平気そうなんだね。ようし、お祝いに何か食べに行こうか」
「行く、行く!」
 三人でマリさんの家の近所にある小さなレストランに行って、お祝いをした。
 食事している間ほとんど晴香が喋り続けていた。どうやったらあんな完璧なヤマがはれるのか、商売にしたら儲かるという提案までしていた。結局、店を出るまで興奮覚めやらぬという口調だった。
 一週間の試験休みを終えて、期末の結果を受け取った。予想通り、今までで一番の成績だった。教科の中では苦手な部類に入る数学ですら最高得点を取れた。
「あら、すごいじゃない。やっぱり予備校に行ったのがよかったのかしら」
 夜、母親に結果を見せると、満面の笑みを浮かべて満足そうに言った。
「じゃあ、これからも友達と勉強していいんですね」
「もちろん。いいお友達と知り合えたわね。そうだ、今度うちに連れて来れば?」
「え‥‥でも、うち、誰もいないし」
「あ、そうね。じゃあ、お母さんが休みのときとか。この調子でがんばって。ね、友恵なら大丈夫よね」
「う‥‥ん。じゃあ、お休みなさい」
 まだ成績票を見つめている母親を尻目に、自分の部屋に入った。今までにないくらい褒められたのに、心は晴れない。理由は分かっている。自分の力じゃないからだ。今回はマリさんのヤマの部分しか勉強しなかった。勉強という意味では、一番しなかったのだ。それで自己最高得点を取り、一番褒められた。
 今まで口をきいたことのないようなタイプで、母親が最も嫌いそうなタイプの晴香を「いい友達」と喜んだ。成績が上がったからそう言うのであれば、本当のそれはマリさんだ。
「ばっかみたい」
 口にしたら本気でそう思えてきて、体の中に突如できた大きく深い穴に沈んでいった。

 翌日、穴からはい上がるために初めて父親の携帯電話の番号を押した。三回目のコールで、ベルが止まった。
「もしもし? どうした?」
「今平気?」
「ああ、いいけど。何かあったか?」
「ううん。別にそうじゃないけど、あ、期末の成績、すごいよかったんだよ」
「そうか、すごいなあ! の割りには、声に元気がないぞ。本当に何もないのか? 勉強で疲れてるのか?」
 一緒に暮らしていない父親の指摘に、喉が詰まって「何でもない」の一言が言えなくなった。体の奥からせり上がってくる嗚咽を必死で飲み込み、無意識でつぶやいていた。
「‥‥‥お父さんと暮らしたい」
 口に出してしまってから、我に返った。受話器の向こうに手を伸ばしてでも、父親の耳に届く前に取り返さなくてはいけない言葉だ。が、そんな手は持っていないし、間に合わなかった。
「友恵‥‥ごめん、それはできないんだ」
「‥‥あ、ううん、あの違うの。やだなあ、昨日、お母さんとちょっと喧嘩して‥‥そうだよね、そんな、急に娘に来られたら彼女に怒られるしね」
「友恵、そんなことじゃないんだ」
「え?」
「‥‥‥そうか、まだ聞いてないのか。まあ、そうかもな。お父さんもできるなら友恵と暮らしたい。けど、それはできないんだ」
「ど、どうして?」
 飲み込んだはずの嗚咽は知らぬ間に溢れていて、頬が濡れていた。
「お母さんには聞いたって言わないでほしい。いいな。お父さんな、借金があるんだ。離婚したのも、このままだとお母さんと友恵に迷惑をかけるからだ。もちろんそれだけが理由じゃないけど。でも、そうなんだ。だから、分かってくれるな?」
 なぜ、父親と会うのをいい顔しないのか、連絡を取ることすら嫌がるのかすべてに納得がいった。でも、でも、と思う。
「‥‥その借金って、お父さん…ギャンブルとかで作ったものなの?」
「いいや、それは違うが」
「じゃあ、じゃあ、何で……か、か家族で、返せばいいじゃん‥‥私、高校も辞めるしッ、大学も行かない」
 子供が泣きながら駄々をこねるように叫んでいた。
「友恵、お前がそんなことを言ったら、何にもならない。お前の将来を壊したくないから、お父さんもがんばってるんだ。な、これからも月に一度は会えるんだし」
「…じゃあ、その、借金がなくなったら、一緒に暮らしてもいいの? 暮らせるの?」 
 食い下がるように言うと、宥めるような笑いの後で「そうだな。そうなるといいな」という元気のない父の声が聞こえた。


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