逃亡
第6話:分岐点
いくつもあるはずの運命の分岐点。この時も大きな分岐点のひとつであったはずなのに、そんなことは気づきもしなかった。たくさんの偶然が重なって大事故が起きるように、道を変えるポイントがことごとく見えなくなっていたのだ。まるでフィルターをかけられたかのように。
「逃避行って……でも」
「もちろん、最初にお金を分けて、私の持ち金を旅行資金にすんの。どう? これなら、友恵のお父さんの借金とマリさんの借金も返せて、夏休みの間中旅行もできるでしょ?」
「いつ、そのお金が運ばれ」
「なーに言ってんの」
身を乗り出して晴香と話を進めようとした時、マリさんの冷静で低い声が止めた。
「マリさん、反対なの?」
「あったりまえでしょ。まったく、水原はロクなこと考えないね」
「何でよぅ。大丈夫だって」
「大丈夫って、何が大丈夫なの? 例え、警察沙汰にならなくても、ううん、ならない方がもっと危険でしょ」
「でも、お金がいるんでしょう、だったら、少しくらいの危険はさあ」
「少しはね。でも、そんな命をかけるようなマネできない。第一、いくら位あるわけ? 危険を犯して苦労したものの、はした金でした、じゃあ泣くに泣けないわよ。それに、そんなに長い間家を空けて親が黙ってると思う?」
「うちの親はいつも家にいないし、夏なんて特に。お互い愛人とバカンスを楽しむんじゃない? 金額は数えたことはないけど……はした金のために、仕事を早く終わらせたりしたりしないと思う」
「だーめ」
「でも、確かに危険だけど、三人で作戦を考えれば…」
「桐まで何言ってんの。うまくいくわけがないでしょう」
マリさんはそう言い捨てると、立ち上がり冷蔵庫から缶ビールやチューハイを抱えて戻ってきた。
「やりもしないで何でうまくいかないって決めつけんのよ」
「じゃあ聞くけど、あんた、さっき信用されてるから、最後まで残されるって言ってたわよね」
「言ったよ」
「そういう中で、お金がなくなったら疑われるのは誰? あ? あんたでしょ。あんたが怪しいとなったら、この部屋に出入りしてることとか、桐のこととか簡単に知られるのよ。どうすんの?」
「そ、それは、私だって考えてたけど……だから、逃げるんじゃん」
「バァーカ! お話になりません」
「じゃあ、晴香が疑われなければいいってこと?」
テーブルに置かれているビールに口をつけながら、誰にというわけではなく聞いた。
「まあ、それは第一段階っていうか、基本的な準備でしょう」
「じゃあ、どうすりゃいいか考えようよ!」
「そんなことから考え始めるようじゃ、来年の夏になっても無理だっつの。だから、話になんないのよ」
さすがの晴香も黙ったまま、ビールを流し込んでいた。気まずい沈黙の中、マリさんの形のいい唇から吐き出される白い煙りが部屋を埋めていった。
「……晴香、そのお金が保管されるのって、いつからいつまでなの?」
「え、ああ、再来週とかじゃないかなあ」
壁に貼ってあるカレンダーを見る。今日は二十日。
「じゃあ、八月の頭ってとこ?」
「多分ね。いつも、直前にならないと分からないんだよね」
「ふうん」
「何で? 何か考えたの?」
「ううん、そうじゃないけど。マリさん、話になれば参加する?」
「あ?」
「さっき、基本的な準備もしてないようじゃ話にならないって言ってたでしょ。じゃあ晴香と二人で計画をたてて、それでいけそうだったらやるってこと?」
タバコを唇の端でくわえたまま薄く笑い「計画次第だね」と言った。
「分かった。晴香、そのデートクラブに出入りしている人と見取り図って、用意できる?」
「え、今?」
「や……さすがに今すぐは無理だろうけど。近い内に…今週中とか」
「二日以内ね」
「え?」
「本当に強奪したいんなら、そんな準備、二日以内で済ませないと時間の無駄でしょう。まあ来年の夏を考えてるんなら、それでもいいけど」
「分かった。明後日までに用意しとく。ここでいい?」
二日後にマリさんの部屋で集まる約束をして、翌朝、別れた。
家に帰るまで、いや家に帰ってからも、頭の中には借金はいくらなのかということで一杯だった。例え、全額返済はできないとしても、返済時期を早めることは可能なのだ。そう考えると、いてもたってもいられなかった。
詳しい情報は明日まで待つしかないが、基本的なことだけを考えてみる。持ち上がったのは現金を奪い、三人で分けて晴香の分で逃避行のような旅行をしようというものだった。
もし、逃げたまま戻らなくてもいいのならやりようはあるに違いない。前もって飛行機を手配しておき、海外に逃げてもいい。落ちついたら、父親に送金すればいい。
だが、そんなことは誰も望んでいない。晴香はスリルのある旅行がしたいだけだろうし、マリさんだって今の暮らしを捨てたいと思っているとは見えない。第一、父親と暮らしたいために借金を早く返済してほしいのだ。
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