逃亡


第8話:反対


「桐は、希望とかじゃなくって、冷静に考えてできると思うの?」
 返事の代わりにバッグから、昨日作った問題点を列挙した紙を取り出して、テーブルの上に置いた。
「何?」
「昨日、どうすればいいか考えてみたの。でも、まだ何も決まってないし。だから、とりあえず絶対クリアしなきゃいけない問題点だけ、書き出してみた」
 マリさんはテーブルの上の紙を手に取り、小声で読み上げていった。やがてその声は小さくなり、結局、黙読していた。二本のタバコを吸い終わったところで、紙をテーブルに戻した。
「これ、桐が一人で考えたの?」
「うん。どう? あ、もちろんまだまだ問題はあると思うんだけど」
「ふうん。じゃあ、分かったでしょ? できないってのが」
「とりあえず考えてみるのは? この問題をクリアする方法を考えて、思いついたら、行動に移す! 思いつかなかったら、何もしないんだから危険はないでしょ?」
「まあそりゃ考えるだけならいいだろうけど」
「だよね。あのねまず決めたいのは、ここなの。逃げるかどうかってとこ」
 紙を手に取り、『逃げる』部分を指さしながらマリさんに見せた。
「だあっ、まだ話は終わってない」
「え?」
「考えるだけならいいだろうけど、けど、そんな中途半端なら考えるだけ時間の無駄」
「そんな‥‥だって、いいって言ったじゃん。それにうまいこと思いつけば」
「まず思いつかないね。追い込まれてもないのに考えつくはずがない。もし、表面的によさそうな案が出たとしても、絶対ボロが出る」
「分かった。じゃあやる。絶対やるから、そのためにもとりあえずこの問題をクリアするために知恵を絞る」
「って、何をやるわけ? 奪うだけで逃げないかもしれないんでしょ?」
「それは……だから、それを、晴香が来たら決めようと」
「やめときやめとき」
 軽く鼻で笑って、紙をテーブルの上に戻した。
「…でも、や、やりたい。今月が無理だったら、焦らずに、来月に合わせる。それも無理だったら、その次」
「へえ。でも、水原は夏休みに何かしたいから言い出したんでしょ。来月じゃあ間に合わないし、乗ってこないんじゃないの?」
「そんな……そんなのわかんないけど……ううん、それでもやるッ」
「ふうん。じゃあ、二パターン考えなきゃいけないね」
「え?」
「水原が参加してる場合と、してない場合。情報収集からその後の対応まで変わってくるでしょ。それが無理なら、バカなことは考えないことね」
 晴香が参加しない場合。どこから情報を入手するか、現金がなくなった場合、やっぱり晴香が疑われるだろう。その対応はどうするか。
「まあ、とりあえず水原にその紙を見せてみれば。問題の多さにすぐやめるかもよ。したら、どうすんの?」
「それは……もう、どうしてさっきから否定することばかり言うの? 晴香だって乗ってくるかもしれないのに」
 マリさんは睨むような目で視線を流し、火のついてないタバコをくわえたまま「甘いね」と言い捨てた。
「え?」
「あーまーいっつうの。希望的観測をしたって何の意味もないでしょ。最悪の状態をまず考えるべきじゃないの?」
 ぐうの音も出ない。確かに、本気で強奪をするのなら悪いことが次々と重なった事態を考えるべきなのだ。二重どころではなく、三重、四重に考えて対策をする必要がある。
「………そうね、甘かった」
「それが分かったんなら」
「一人だと考えにも限界があるから、今日、三人でその最悪の状態を考えたい。そしたら、それがそのまま問題点になるでしょ? 問題点がはっきりすれば対策のたてようもあると思うの」
「どう言ってもやめる気はないの?」
「せめて、どんな問題があるかくらい考えたい」
 身を乗り出してそう言うと、マリさんはため息と一緒に煙りを吐き出し「分かった分かった」というように、小さく首を縦に振った。
 一時間くらい雑談していると、インターフォンが鳴って晴香が入ってきた。
「あれ、早いねーもう来てたの」
「この人、お昼からいるんだよ。どう思う?」
「だって……それより、晴香、調べておいてって言ったやつはどうなった?」
 マリさんがキッチンに立つのと入れ替わりに、晴香はテーブルにやってきて腰を下ろした。余裕のある顔つきで口元がほころんでいる。
「コーヒーでいいの?」
「うん。ありがとう」
「ねえってば、うまくいった?」
「がっつかないでよ。コーヒーがきてから」
 結局、晴香が報告し始めたのは、コーヒーを半分ほど飲んでからだった。
「まず保管時期は再来週の二日間だけ。うちのクラブは通常は午後三時から明け方までやってるんだけど、その間は午前〇時で終わりにするんだって。で、警備は、事務所が閉まってから朝まで、朝から三時までっていう風に区切ってやるらしい。午前〇時までやってるって言っても、ほとんどの人は一時間前くらいからいなくなるから、最低でも十一時半からの三十分は私一人になるから」
「一人? 本当にぃ?」
 からかうようにマリさんが言う。
「どういう意味よ」
「だって、責任者いるでしょ? あんた一人になる? あり得ないね」
「事務処理があるから、本当に一人になるの。そりゃ、全部の部屋を見回りしたわけじゃないけど、少なくとも金庫がある部屋にはいない。で、これが間取り図」
 晴香はそう言ってバッグから紙を取り出してテーブルに広げた。三LDKの部屋で、玄関を入って右側にひと部屋、まっすぐ歩くとリビング。振り分けで左右に部屋がある。
「このリビングに女の子が待機してて、こっちの部屋が更衣室みたいになってるんだ」
 晴香はリビングと左に振り分けられている部屋を指さしながら言った。
「この部屋は? 何も使ってないの?」
 右側に振り分けられている部屋を指さすと「そこは仮眠室になってるの」との答えが返ってきた。
「で、この玄関からすぐの部屋が、まあ、社長室つうか管理室になってて、ここに金庫があるというわけ。いつもこの部屋にほっとんど人はいないんだけどね」
「さっき言ってた事務処理とやらは、その部屋でやるんじゃないの?」
 煙草の煙りを吐き出しながら、マリさんが問い詰める。
「ここは女の子の集合場所ってだけで本当の事務所じゃないの。だから、処理とかは別の場所でやってるんだって」
「ふうん。けど、事務処理って毎日必要なものなの? その日、処理作業をしなくていい日だったなんて、笑えないよ」
「うちは即金制だから、絶対毎日売上金の処理が必要なの。もう、さっきからマリさん反論ばっか。反対なわけ?」
「当たり前。中途半端な計画なんて話にもならないし。さっき桐にも言ったけど、希望的観測で計画を立てても無意味でしょ。最悪な状況を考えないと意味なし」
 晴香は口を開きかけたが、言い返す言葉がみつからなかったらしく、唇を噛み締めて飲み込んだ。



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