逃亡


第9話:ハードル


正直、この場にマリさんがいることを心から感謝した。二人だったら見落としてしまう疑問を投げかけてくれる。
「じゃあ続けるけど‥‥‥て、どこまで話したっけ?」
「間取りの説明までだよ。二日間、金庫に保管されてるんなら、二日目の夜に奪うほうがいいのかな」
「うん、そうだね。そう思う。そしたら、一日目の警備状況も見られるし」
「そこのバカ二人、本気で言ってんの?」
 吸い殻が山になった灰皿に新たな煙草を入れながら、マリさんがストップをかける。
「バカ二人ってどういうことっ! 今度は何なの!」
「くっくっく、水原は短気だね。さっき言ったことをもう忘れてるのはバカでしょ。最悪な状況を想定しないと意味ないって言わなかったかしら?」
「言ったよ。忘れてないよ、それなのに」
「あっそう? じゃあ理解できてないってことか。やっぱこの話はなしね。飲みにでも行って、夏休みの相談しよう」
「ふ……二日目の夜にした方がいいって思ったのは」
 何がいけないのか分からないなら、いいと思った理由を説明することにした。そこを反論してもらえば、糸口をつかめるかもしれない。
「ん?」
「二日目の夜に奪うのがいいって言った理由は、正確な金額や警備の方法が掴めるから、行動しやすいだろうと。ちゃんとした対処もできるし、だから‥‥」
「な、るほどね。それも一理あるわね」
「じゃあ」
「でも、やっぱりだーめ。まあ一番はこんな計画やめることだけどね。で、おとなしくなった水原は何か意見ないの?」
 名指しされて晴香は顔を上げた。唇を噛み締め、形のいい眉を歪ませて答えを探していたが、やがて、首を横に振り降参した。
 こんな初期段階で話を壊したくない。マリさんに言われるまでもなく、これくらいのことでつまずいているようでは破綻するのは目に見えている。
「そんな難しいことじゃなくて、すごく単純なことだけど」
「もう、もったいぶらないで教えてよ!」
「もったいぶってるわけじゃないの。まったく、水原はちょっとは考えなさいよ」
「考えてますッ。考えてるけど分からないんですぅ」
「いばるな」
 一日目の方が安全な理由。奪いやすい理由。時間にしたら数時間の差なのに、一日目がいいという。わずか数時間に何があるというのだ。そこまで思い当たり、目が開いた。
「お、桐は分かったみたいね?」
「え、いや‥‥お金が移動する、かもしれない、から?」
 そう言うと、晴香はきょとんとした顔になり、マリさんはにっこり笑った。
「そういうこと」
「はっ? 何言ってんの? 二日間、保管されるんだってば!」
「いや、だから‥‥移動するっていうんじゃなくって、するかもしれないからってこと、でしょ?」
「そ。確かに、水原の言うとおりそんな話は出てないかもしれないし、今までもなかったんでしょう。でも、あくまで一時的な保管だとしたら、急に予定が変わることもあり得る。準備万端忍びこんで、金庫を開けたらお金がなかったってこともあり得ない話じゃないでしょ。まあ、それでも無事に逃げられたら笑い話で済むけど、見つかったらそれじゃ済まなくなるわね。最悪な状況を考えろって言った意味が分かった?」
「……でも、じゃあ、一日目の夜だって同じことが言えるじゃない」
「まあねえ、でも可能性は低い。ね、桐?」
 一人、取り残された感じになった晴香は腕を組んで、鋭い視線をぶつけて来た。
「朝まで警備するっていう話が出てるなら、とりあえず一日目の夜は保管しなくてはいけない状況だってことだと思うから‥‥ってこと?」
「そりゃ可能性はゼロとはいえないけど、二日目の夜に比べたら、明らかに低いわね。続きをどうぞ。それとも、やめる?」
「やめないわよっ!」
 その後も晴香が仕入れてきた情報を説明して案を出すたび、マリさんが反論し続けた。そして言葉につまり、立ち往生してしまう。
金庫の暗証番号と鍵の入手法についての反論に答え、どうにかパスした晴香は勢い込んで話を進めようとしていた。佳境に入る前に話し合わなければいけないことがあることを思いだし、昨夜書いた紙をテーブルの上に出した。
「何これ?」
「昨日、色々考えてて、とりあえず話し合って決めなきゃいけないことと、クリアしなきゃいけない問題点を挙げてみた」
「へえ、何?」
「それにも書いたけど、晴香が言ってた、お金を奪って、三等分してその中で旅行をするっていうのだと、奪って、逃げて、戻ってくるっていう三つが必要になるよね?」
「ああ、まあ、そうだね」
「その計画は変えずにいく?」
 そう言うと、マリさんは上唇の端を歪ませて、晴香は目を見開いて驚いていた。
「どういう意味? やらないってこと?」
「そうじゃなくて、例えば、奪うだけで逃避行はやめるとか。それでほとぼりが冷めるまでは普通にしてて」
「はあっ? それじゃ、今やる意味がないじゃん」
「う‥‥ん、そうなんだけど」
「奪って逃げて、戻らないって手もあるわね。それが一番安全かもよ」
 次に言おうとしていたことをマリさんが先に言ってくれた。茶化すような口調だけれど、目は意外なくらい真剣だ。マリさんは本気でそう考えているに違いない。
「冗談! さっき言ってた、奪う、逃げる、戻る計画でいいじゃない。それがいい」
 予想していた答えだった。晴香は本当にここにいたくないわけじゃない。ただ一時、いつもと違うことができればいいのだ。マリさんに不可能だと言われても変わらない。どうすれば戻ることが可能か話し合おうとすると、晴香がせきとめるように、手の平をこちらに向けた。
「ストーップ! 二人とも、そんなことくらい私が考えてないと思うの?」
 自信満々にそう問われて、思わずマリさんと一緒にうなずいてしまった。
「ひどーい。つまり、追われてるのに、どうやって戻ってくるかってことでしょ。だったら、うちらが追われなきゃいいわけだ」
「そりゃそうだけど、そんなこと無理だよ」
「あーうるさい。つまり、ほかに犯人がいりゃあいいのよ」
「は?」
「身代わりを作れば解決でしょ」



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