動物園


第3話:3


 さらにいくつかの檻を過ぎて、ようやく空いている檻に行きついた。檻の前には一組の家族と、若い男女がいるだけだ。――二人連れの姿を目にして、わたしは眉をひそめた。動物園は恋人どうしで来るような場所ではない。
「おいで」娘の手をひいて、檻の前に立つ。「ほら、見てごらん」
 指差したが、娘はうつむいたまま見ようとはしない。
「ほら」更にうながす。「怖くないよ。檻に入ってるんだから」
 何度もなだめすかしたあげく、やっと娘は顔をあげた。落ちつかない、不安げな視線を、奥の暗がりに向ける。
 一匹の動物がうずくまっていた。垢にまみれた汚らわしい身体を丸めて、檻の隅に横たわっている。伸ばし放題の体毛の奥から、焦点の定まらない目が無気味に光り、どこか虚空を凝視していた。
「”レイケツオニ”」娘にプレートの文字を読んでやる。「”2032年、東京都にて捕獲。2026年から2030年にかけて、判明しただけでも14人を殺害していた。犠牲者のほとんどは15歳未満の少年。いずれも生前、もしくは死亡後に性的暴行を受けていた。習性は極めて異常、特徴は……”」
 その解説を娘がどれほど理解できているか、わたしには知りようもない。――だが、それでもいい。目のまえにいるこの動物が、どれほど狂暴で凶悪な存在なのか。それだけ理解してくれれば、それでいい。
 娘は無言で見つめている。その視線の先には、唾棄すべき生物がうずくまっている。虚空を睨み、言葉にならない唸りをくりかえしている。

 ――その法律が制定されて、もう五年になる。
 年々増加する凶悪犯罪に、当時の警察と政府は頭をかかえていた。愚かな政治家が票集めのために死刑を廃止し、犯罪に歯止めが効かなくなったのだ。
 警官は駆けずりまわり、裁判所は終夜営業。刑務所は犯罪者で溢れた。比較的罪の軽い犯罪者は釈放せざるをえず、釈放された連中は街で犯罪を繰り返した。市民は恐怖に脅え、怒りに震えた。
 とりわけ怒り狂ったのは、犯罪によって家族を亡くした人々だった。愛する者の命を奪った凶悪犯が、塀の中とはいえまだ生きている。しかも、彼/彼女を養う費用は税金から出ているのだ。犠牲者の家族が納得するはずはなかった。
 市民の声に後押しされる形で、政府は新たな法律を制定した。かつての死刑制度に代わる――いや、より効果的な制度といえるだろう。
 一定以上の重い罪を犯し、更正の見込みがないと判断された被告人は、裁判所命令で人権を剥奪される。戸籍を抹消された時点で、犯罪者は被告人でも罪人でもない。もはや人間ですらない。動物だ。
 むやみに動物の命を奪うことはモラルに反する。動物たちは舌を裂かれた後――動物に言葉は必要ない――檻に入れられ、そこで一生を過ごすことになる。檻は一般に公開され、子供たちの教育の場として活用される。人の道を外れた者がどうなるか、実地に教えてやることができるのだ。
 電撃棒の出現もまた、檻とおなじく必然的なものだった。当初、見物客は檻に石を投げ入れていた。だが、石は投げ返せる。舌とおなじく手足を使えないようにするのは問題があり(餌をやるときに面倒だ)、飼育員はべつの方法を考え出す必要に迫られた。
 電撃棒はすべての動物園で採用された。すべての檻に複数の電撃棒が備えられ、見物客は好きなだけ、動物を痛めつけることができた。残虐な行為ではない。罪深き動物に罰を与え、自らの正義感を満足させることで、社会の一員としての地位を再認識する、重要な行為だ。
 そしてもちろん、被害者の家族には絶好の機会となる――報復の。



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