動物園


第4話:4


 となりの若い恋人たちが、電撃棒を操りながら微笑みあっている。ゲームでもやっているつもりなのか、閃光が動物の顔や急所に触れるたび、二人は喚声をあげる。
 気に障る光景だ。動物園は教育の場であって、遊技場ではないのだ。二人の笑い声と動物の苦悶の声に背をむけ、わたしと娘はふたたび歩きだした。
 いくつもの檻を通りすぎる。”ヒトクイオニ”、”ヒトデナシ”、”ミサカイナシ”……。ほとんどは雄だが、なかには雌の動物もいる。当初は奇妙に感じたものだが、もはや見慣れた光景だ。
 娘もいくらか慣れてきたらしい。もう電撃棒の音に脅えることもなく、檻のまえを通るたびに、足どりをゆるめてじっと見つめる。見物客に背を向ける動物。暴れまわり、わめきちらす動物。狭い檻のなかで、行ったり来たりをくりかえす動物……。
 娘の目に、動物たちはどのように映っているのだろうか。
 かつての日本には”市中引き回し”という刑罰があった。縛りあげられた罪人が、市民のまえにその哀れな姿を晒すのだ。中世ヨーロッパにも”さらし台”という、よく似たシステムがあった。手枷首枷に繋がれた罪人を、民衆が嘲笑う。
 民衆は罪の愚かさを知り、罰の恐ろしさに震える。おそらくは娘も、おなじことを感じているのだろう。おなじ教えを、娘にも与えることができるだろう。
 動物園ができて五年。まだ目に見えた効果はでていないが、犯罪は徐々にだが現象傾向にあるらしい。娘の代にはさらに減ることだろう。それが当然だ。
 そして――わたしは娘に、もうひとつの教えを与えた。
 目的の檻のまえで、わたしたちは足をとめた。ここはゲートから遠く離れた場所。もはや人影もまばらで、檻のまえに見物客の姿はない。制服姿の飼育員が目につく程度だ。
 檻に近づいた。プラスチック製のプレートには”ウジムシ”とある。
”2029年、神奈川県にて捕獲。繁華街にて無差別に六人の命を奪い、その場で捕獲された……。”
 その六人の一人が、わたしの妻だ。毎年、妻の命日に、わたしはこの動物園を訪れる。この檻のまえに立ち、この動物とむかい合う。
 動物は脅えているように見えた。わたしの顔を覚えているのか。いや、そんなはずはない。ただの動物に、そんな知能があるはずはない。
 わたしは電撃棒を手にとった。
 電光がひらめき、苦悶の声があがった。動物は奥へ逃がれようとしたが、わたしは巧みに電撃棒を操り、着実に、効果的に苦痛を与えた。
「おまえもやれ」
 ふりむいて、娘に声をかけた。娘は呆然と目を見開いて、わたしと檻のなかの動物を交互に見つめている。わたしは一方の手をのばして娘の手をとると、その手をもう一本の電撃棒へ導いた。
「使いかたはわかるだろう。簡単だ。さあ、やれ」
 電撃棒の柄を握ったまま、娘は放心して動かない。
「やるんだ」
 わたしの声に気圧され、娘はついに決心したようだ。おぼつかない両手で柄を動かし、指をスイッチにかけ、ぎゅっと握った。



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