ウンメイ弄び


第3話:ある冬の日の決意〜真希〜


「よおっしっと! ぜっこうちょー♪」

自分の部屋の鏡を前にしていつも通りのナチュラルメイク、そして前髪を揃えると、
腰まで延ばした自分の髪の毛を後頭部の少し左寄りの位置に結わえてお気に入りの白いリボンで結ぶ。
横ポニーテールって言うのかな?
物心ついたときからずっとこの髪型なんだよね。

私は鏡の中の自分に満面の笑みを向けると、
学校指定のブレザー制服、そしてネクタイを正して鏡を閉じた。

「よっしっ!」

再び気合いを一つ入れると傍らに置いてあった手持ち用の鞄を手に、
お母さんの作った朝ごはんが待つ一階の居間へと急いだ。

私こと千歳 真希(ちとせ まき)は、
今日という日は、
一層気合いを入れて臨み、
そして明るく励む必要があると自分で思っていた。

だって今日はあいつが学校に復帰する日だから……!


――階下の居間に下りてくると、
すぐに朝ごはんの食パンの焼けた香ばしい匂いが漂ってきた。
テーブルにはきつね色の焼き色を見せた食パンと、野菜炒め、目玉焼き、牛乳がスタンバイされていた。
朝ごはんとしては軽目の部類だけど、
私の一家の朝ごはんはたいていこのメニューだ。

向かって左側の席には、すっかり会社に行く準備を済ませたお父さんが新聞広げて、
私やお母さんがテーブルにつくのを待っているようだった。
見慣れた朝の風景だ。

「おっはよ♪お父さん」

「ん。」

私が元気良く挨拶したのにお父さんは新聞見たまま、ただ一言だけ。
もうっ、せめておはようぐらい言ってほしいなぁっ。ま、いつものことなんだけどね。

…ややあってお台所からエプロン姿のお母さんが姿を見せた。

「おはよう♪お母さん」

「おはよう、真希。
さぁ、朝ごはんにしましょ。」

お母さんは笑顔で挨拶を返してくれた。
うんっ、やっぱり朝は元気よく挨拶交わすと気持ちいいよね。

お母さんがエプロンを外してお父さんの向かい側に当たる、
椅子の背掛けにかけて席に着くと、
お父さんもタイミング良く新聞をたたんでお母さんと向き合う。
それを見て私も二人の間の席につく。

「いただきますっ♪」

私の元気な声を合図にすると朝の食卓が始まった。
私は食パンにバターをぬって一口、カリッとかじりついた。
程よい焼き加減が匂いに感じた香ばしさを味にして伝えてくれる。
お父さんとお母さんもそれぞれの食事にありついている。
そんないつもの朝食の風景。

――私たち一家は両親と私の三人家族。
お父さんは営業を生業とするサラリーマンで、
お母さんは専業主婦。
ごく普通のどこにでもいる家族だ。
お父さんは少し厳しいところもあるけど普段はすごく優しい。
お母さんも優しくて、
いつも娘を気遣ってくれている。
二人は若いときに恋愛結婚をして、
その数年後に私を産んでくれた。
親類の援助を借りずに一緒になった頃はかなり苦労をしたらしい。

だからこそ、今の円満な生活があるのだと私は思ってる。
辛いときを共に励ましあって、力を合わせて乗り越える……それによって培ってきた互いを信頼する想いってきっと何物にも変えがたいものだもの。
その証拠に私が生まれて十七年とちょっと、
少なくとも私が知る範囲では、小さい衝突はあっても離婚や別れ話に発展するような衝突は無い。
私はそんな両親を誇りに思っているし同時に憧れている。
私も将来家庭を持つときはこうありたいな。
別に裕福なんかじゃなくても、
好きな人と一緒に人並みの幸せを築ければ……。
えへへ…私のささやかな夢かな。


「……真希?」

「ほえ?」

私のお皿に用意された二切れのパン、
その二切れ目のパンにかじりついたところでお母さんが私を思慮深げな表情で私を呼んだ。
かじりついたまま間の抜けたような返事を返す。

「今日から零ちゃん、学校に復帰するんでしょ?」

「…あっ、うん。」

「よかったわね。
あれからまだ一週間しか経ってないけど……、
学校に復帰できるならお母さんも少し安心したわ。」

「……うん、そうだね。」

お母さんがその話題を始めると自然に食事の手が止まった。
お父さんも神妙な面持ちでお母さんの言葉に静かに頷いていた。

「真希。」

「ん?」

次に口を開いたのはお父さん。
私を叱るときのように真剣な表情だ。

「……学校に復帰するとは言っても、
まだ心の傷が完全に癒えたわけではないだろう。
零二君の昔馴染みとして、出来るだけ、心のケアをしてあげなさい。」

「うん……、
わかってるよ、お父さん」

言わなくても娘は解ってるってことは、
お父さんも知っている。
そのうえであえてお父さんは口にしたのだ。

『零二』とは、
私の家の二軒隣に住む瑞沢家の長男の瑞沢 零二(みずさわ れいじ)の事だ。
歳は私と同じ十七歳で、私が三歳ぐらいの時から家族ぐるみで仲良くしている言わば幼なじみだ。
幼稚園から始まって今通っている高校までずっと一緒なわけだから、
付き合いはもう十五年近くになる。

そんな零二は、
小学生の頃に両親を交通事故で亡くした。
そして一週間前、
今度は零二に唯一残された家族、
お姉さんのさやかさんを再び交通事故で亡くした。

両親を亡くしたのが零二と私が小学三年生の時。
その四つ上のさやかさんが当時はまだ中学生の身にありながら、
零二の親代わりをつとめてきた。

両親を亡くした直後、
零二の親類や親戚、あるいは私の両親が養子に引き取る等の話が上がっていたのだけれど、
零二とさやかさんはそれを拒否。
両親の思い出が詰まった家で暮らしたいという強い希望で、
親戚や私の両親が見守る中つい一週間前まで二人の姉弟は助け合いながら生きてきたのだ。
その零二にとってたった一人の家族がまたしても交通事故によって……。

過去の悲しみの連鎖。
お葬式は親類の間のみで厳かに行われたが、
ついにその間零二は一言も発しなかった。

その心中は察して余りあるが、
その悲しみは日々円満に暮らしている私にはおそらく解らないだろうと思う。

だから私はこの一週間、零二に様子を見に行くとき以外、
積極的に会おうとせずそっとしておくことにした。
会って慰めの言葉をかけたところで、
家族を失ったことも無い私のその言葉は所詮上辺だけにすぎない。

そのかわり私に出来るサポートは積極的に行うことにした。
学校の授業内容をまとめたレポートやプリントを届けたり、
お弁当を作ったりもした。
私に出来る事なんてたかが知れているけど、
私に出来る事ならとにかく進んでやった。
少しでも負担を軽く出来るなら……、
私は自分なりに零二を励ますことにしたのだ。
そして彼がいつか悲しみから立ち上がれた時、
その時は明るく出迎え、
彼の復帰を心から喜ぼう。
私に出来る唯一の事と信じて今日という日を待った。

そして昨日、
ついに待望の電話がかかった。
明日から学校に復帰するから、
よかったらいつも通り朝迎えに来てくれないかということだった。

私は喜々として返事を返した。
でもそれと同時に一抹の不安があった。
無理をしてるんじゃないか……って。

「真希、あまり零ちゃんの前ではしゃぎすぎちゃダメよ?
あなた、がさつなところあるから……」

「う……わ、わかってるってば…。」

お母さんにそういわれて顔を膨らませる私。
でも私はひそかにそこを心配していた。
私が朝から気合いを入れてるのは零二を明るく出迎えるためなのだが、
まだ病み上がりとも言える零二に対して、ふとした事からデリカシーのないこと言っちゃうんじゃないかって思ったりして……。
でも実の娘に対してがさつだなんて……、
気にしてるのにさ。



「それじゃ、いってきまーっす!」

「いってらっしゃい。 零ちゃんによろしくね。」

用意を済ませた私はまだコーヒーを飲んでいるお父さんより先に家を出ることにする。
玄関まで見送りに来てくれたお母さんに笑顔を返して家を出た。


「うぅっ、さっむーい!」

…時は二月の始め。
私たちが住むこの地方は夏は涼しく冬はとても寒い。
気温は一桁があたりまえ。雪が降るなんてごく普通の景色。
現に二、三日前に降った雪はまだほとんど溶けていない。
太陽こそ出てはいるけど冬の冷気は容赦なく私の身体を震わせる。
でもそれもあと二ヶ月もすれば季節は春になり別れを告げる。
その時は私たちも高校最後の三学年を迎え、来年は卒業。

零二の心にも冬が来ているみたいだけど、
それもきっと時が経てば暖かい春を迎えるに違いない。
私がそれを手助けをしてあげるんだ。
幼なじみとして……、
ううん、私が零二の心の支えとして、
彼を癒してあげたい。

お父さんとお母さんがつけてくれた『真希』の名前に恥じないように、
ひたむきに真っすぐな気持ちで、
今度の春を彼の始まりの季節にする手伝いを私がしてあげるんだ。


その時零二の横に私が居られれば……、
あっ、今のナシっ!
忘れてね!

「よぉぉおっし、行くわよ!」

真っすぐな決意とほのかな希望を胸に私は駆け出すのでした。


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