ウンメイ弄び


第4話:ある冬の日の決意〜零二〜


「ほら、サラ。朝ごはんだぜ。」

俺は尻尾をふりながらおすわりをして待っている自分の家族の目の前に、
ドッグフードの入ったお皿を置いてやる。
するとすぐに自分の御飯にありつくように、
それでいて上品に食べている。

「…ととっ、そろそろ真希のやつが来ちまうなっ」

……朝からバタバタしていた。
何せ今日は一週間ぶりの学校だというのに、
起きたのは予定の時間の三十分後。
つまり寝坊してしまったのだ。
昨日の夜、
幼なじみに迎えに来るように電話してあるから、
時間通りならまもなく呼び鈴がなることだろう。

俺はテーブルの下で散らかす事なく朝ごはんを食べているサラと一緒に、
パンにジャムをぬっただけの簡素な食事を勤しむ。

ピンポーンッ!

どんどんどんっ!

「れいじーっ、起きてるーっ?」

…とゆっくりと食事を取る間もなく、
我が幼なじみの声が玄関の向こう側から居間まで響いてくる。
呼び鈴から始まって玄関を叩き、近所の目も憚らず人の名前を大声で呼ぶ三拍子攻撃。
これが平日の朝の始まりといっていい。
真希にとっては小学生の頃からの朝の日課だ。

「起きてるよーっ!
ちょっと待ってろっ!」

俺も居間中に響き渡る声で外にいる真希に返事する。
俺は食パンをかじったまま玄関へと向かった。
今、この冬の季節、
外はかなり寒い。
せめて中で待たせてやらないと悪いだろう。

がちゃっ

「やっほー、れいじ……ってぇっ!」

玄関を開けて真希を出迎えてやると、
俺の姿を見るなり突然赤面する。

「ん? どうかしたか?」

「ばかっ!
あんた、なんて恰好してんのよっ!」

「へっ? のわっ!」

目を背けながら怒声を浴びせてくる真希の言葉を受けて、
自分の姿を見ると何とシャツにトランクス姿だ。
確かに年頃の女に見せる恰好ではない。
下手したらセクハラだ。

「と、とりあえず上がって待っててくれっ」

「馬鹿零二っ」

文句を言いながら中へ入ってくる真希を尻目に、
俺は一目散に洗面所へ駆け込んだ。
食べかけのパンを無理矢理口の中に押し込んで、
クリーニングして帰って来たばかりの制服を急ぎ足で着込んでいく。
放置していたせいか、
ものすごく冷たい。
そうしてる間にも玄関から幼なじみの怒号が聞こえてくる。

「まったく、
自分から迎えに来いとか言っといて用意できてないってどういう事よっ」

「すまんっ、身体がなまってたものでな」

「どうせ寝過ごしたんでしょっ」

「朝は低血圧なんだ。
この辛さは当事者にしか解るまい」

「はいはいっ、
この間は高血圧とか言ってなかった?」

「記憶にないな」

「とにかく、早く着替えなさいよ!」

「うむ、しばし待たれい」

「一分よっ」

「むぅ、せめて三分。」

「いいから早く着替えなさいよっ! バカっ!」

「へーへー」

洗面所と玄関の間での不毛なやり取りが一区切りつくと、
その時には俺も着替えが終わっていた。
さっきから馬鹿馬鹿言われている不遇の俺の名前は瑞沢 零二。
そして玄関にいるしょっちゅう頭の血管を切らしてそうな幼なじみが千歳 真希だ。
かれこれ付き合いは十年を越えるが、
一向に腐れ縁は切れそうにない。
とはいえ、
十年以上の付き合いは伊達ではなく、
もはやお互いの良いところ悪いところを知り尽くしている、そんな関係だ。

近年では顔を合わせれば真希が俺に怒号を浴びせ、
それを俺がのらりくらり避わす感じだ。
以前は俺も目に目を、ということで文句には文句で返していたが、ある理由で止めた。
それについては今は語るまい。

洗面所で申し訳程度に歯を磨いて、
そのまま冬特有のきらびやかな水道水を顔に付ける。

「ぬおおぉうっ、冷たいぞぉぉぉっ!」

冷たく透き通ったそれは眠気眼だった俺の意識を完全に覚醒させてくれる。
濡れた自分の顔を備え付けのタオルで拭くと、
俺は洗面所を出た。

「終わったの? 零二」

玄関先でしゃがんで待っている真希の眼にその俺の姿が入り、
声をかけてくる。

「すまん、もうちっと待ってくれ」

「ちょっと〜……なんにも用意できてないんじゃない」

「違うよ、用意は終わった。
でも家を出る前に……」

俺は今へと続く入口で立ち止まってそこで一呼吸置いた。
怪訝そうな表情を浮かべる真希に、
俺は言葉を繋いだ。

「姉さんたちに……挨拶してくるよ」

「あっ……」

口で笑みを作りながら紡いだ俺を見て真希は声を漏らした。
悟ったように神妙な面持ちで。

「すぐ済ませるから」

「ううん、ごめん。
……ゆっくりでいいよ」

優しく微笑み返してくれた幼なじみ。

「悪いな」

俺は一言礼を言うと、
居間を抜けて座敷へと駆けていく……はずだった。

「ちなみに真希、
一言言っていいか?」

「へっ?」

居間へと姿を消したと思っていた真希も、
顔だけ出した俺を見て目を見開いた。
うむ、真希の姿を見てどうしても言わなければと思った!

「そのスカートの丈でそんなしゃがみ方をするとイケないものが見えるから気をつけろよ〜」

「………っ!」

言われた真希がふと自分の姿を見て、
ゆでだこのように真っ赤になるのが見えたが、
目的は果たしたとばかり俺は再び座敷へと向かうことにした。
『馬鹿零二っっっ!』なんて声が聞こえたような気がするが、気の迷いだろう。
ちなみに色は……想像にお任せする。


……居間ではすっかり綺麗に散らかさずに食べ終えたサラが、
行儀よくおすわりをして俺のことを待っているようだった。
俺はそんなサラの頭を一撫でしてやると、
そのまま奥の座敷へ向かった。
和室ともいうべきその部屋には黒檀があり、
その中に家族の位牌が安置されている。
中にいるのは三人。
俺の両親、そしてさやか姉さんだ。
両親は俺が九歳の頃、
事故で亡くした。
そしてつい一週間前のこと……、
一緒に力を合わせて生きてきた、
さやか姉さんが再び事故によって二十一の若さでこの世を去った。

精神的、また姉さんの葬式などから、
一週間ほど休んでいたのだが、
親類や真希のおじさん、おばさんの手厚い手助けもあってどうにか一段落、
精神的にも落ち着けたのだった。

「親父、母さん。
そして……姉さん。
きっと心配かけただろうけど……何とか一整理ついたよ。」

位牌の前で正座をして話し掛ける。
端から見れば独り言だがそうじゃない。
きっとあっちの世界で聞いていてくれてる。
はは、変かな?

「正直、俺はなんにもしてない。
みんなが助けてくれなかったらどうしていいか解らなかった」

…それは両親のときも同じだ。
当時俺は九歳、姉さんは中学一年の十三歳。
あの時も養子の話を断って俺たちのわがままを受け入れてもらって両親の家で暮らして来た。
姉さんは自分の青春時代を投げ売って家庭を支えてくれたし、
水面下では俺が意識している以上に親類がサポートしてくれていたに違いない。

「みんなが助けてくれたから今日の俺があるんだと思ってる……。
その人たちに答える意味でも俺は今日から頑張って独り立ちする」

俺は両親のとき同様に変わらずここで暮らすことに決めた。
それ自体誰かの助けなくして実現できないことだが、いずれ、それもなるべく早いうちに俺一人で両親の遺してくれたこの家を立派に護っていって見せる。
それが親代わりを勤めてくれた姉さんの気持ちに応えることになるはず。
そして、世話になった人には何らかの形で恩を返したい。

「俺、絶対にくじけない。
だから俺のこと……、
見守っていてください」

そう締め括りながら家族の前で手を合わせる。
いつか俺も同じ場所へ行くとき、
胸を張って再会を出来るよう、決意を秘めながら。

「それじゃ……行ってきますっ!」

一時の合掌の後、
俺の背は勢いよく立ち上がった。
今日からが新たなスタートだ。
勢いそのままに座敷を飛び出すと、
居間のソファーに立て掛けてあった鞄を持って部屋を出ようとする。

わんっ!

と、そこで後ろから家族に呼ばれて振り返る。
俺の最後の家族、
愛犬サラだ。

「とっと……そうだ、忘れるところだった」

俺は足元に寄って来たサラをしゃがんで抱き抱えるようにすると、
頭を優しく撫でてやる。
サラは頭を撫でられるのが好きなようで、
本当に嬉しそうに目を細めてくれる。

……サラがこの家に来たのは両親が死んでから間もなくのこと。
季節は同じ冬。
夕闇の寒空の下ベンチの下で震えているところを、
俺が見つけて連れ帰った。
まだ小さい仔犬で首輪もないことから捨て犬では無いと思うが、
親犬もいなかった。

生き別れか俺たちのように死に別れかは定かではないが、
親がいないもの同士、子供心に親近感を覚えた俺は姉さんと相談して、
新しい家族に迎い入れた。
それから八年。
今ではすっかり大きくなってしまった昔の面影と可愛い気持ちは何一つ変わらない。
そしてかけがえのない家族であるということは。

「行ってきます、サラ」

わんっわんっ!

『行ってらっしゃい』とでも言ってくれてるのだろう。
俺は忘れそうになったサラへの挨拶を済ませて、
真希の待つ玄関へと急いだ。

「お待たせした、真希君。さぁ、行こうか」

「………」

白々しく笑みを浮かべて声を掛けると、
頬を膨らましている真希が俺の顔の目の前で、
人差し指でちょいちょいと顔を近づけるように合図を送ってくる。

「何だ、何かよう…」

どごぉっ!!

「ぶげぇっ!」

迂闊にも顔を近づけた俺に待っていたのは真希の鉄拳制裁だった。
しかも近づける途中を目掛けた一撃だったため、
真希に顔を近づけようとする向きエネルギーが、その逆向きのエネルギーである真希の鉄拳に上乗せされた強烈な一撃だ。
俺の顔が頬から激しく歪み脳に重くのしかかる鈍痛が徐々に襲い始める。

「な、なにするんだよ…」

ほとんど半泣きの俺。
情けないと思うか?
しかし真希の一撃は瓦五枚は軽く割る剛拳!
並の男が放つそれとは比べるほうが愚かしいまさに『拳』!
万力のような握力から作られるグリップ、
しなやかで無駄のない完成されたその一撃は、
道理が引っ込む、
いや、自然の摂理すら吹き飛ばす、
そうこれが世に聞いた『真希神拳伝説』なのだぁっ!
「ふん、当然の報いね。
反省しなさい。」

痛みに悶える俺を眉を吊り上げたまま見下ろす真希。おそらくさっきの事だろう。
忠告してあげたんだから礼を言われるような事はあっても殴られる覚えはないぞ。

「……でも、」

吊り上がっていた眉を落として、一呼吸を置く幼なじみ。

「零二が元気そうで良かった……安心した」

思わずドキッとするような言葉通り安心した……あるいはそれを喜んでいるような微笑みを見せてくれる。
まるで自分のことのように喜んでいるようだ。

「行こ、零二
遅刻しちゃうわよ」

「お、おう……」

ミニスカートとともに真希のトレードマークである長い横ポニーテールを翻しながら、真希は先に外に出て行き俺はそれを追った。


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